2009年6月14日日曜日

緑の公園


丹波市役所のすぐ近くにこんもりとした森があり、近くにクルマを停めて歩いてみた。

麓は公園になっていて、看板を見ると「甲賀山公園」と書いてあった。

もともと高岡山と呼ばれていたが、戦国時代に甲賀衆が住んでいたことから甲賀山とも呼ぶようになったそうだ。

丹波には、そんな小さな神社や城跡がそこいら中に残っており、さすが京の都の郊外であり、豊かな土地を獲得するために、多くの武将が争った山城の跡が見られる。

今後、時間が取れれば、ゆっくりそれらの城跡などを巡ってみたいな。



それにしても公園から見上げる山は、文字通り「緑の洪水」。

ボクの足が丈夫だったら、この小山を登って、周りの爽やかな景色を眺めてみたい。

2009年6月13日土曜日

田舎の豪華な美術館

久しぶりに田舎に帰って市役所に向かう途中、いつも通り道で気になっている美術館に立ち寄った。

その美術館は、田舎の田んぼの中に建っているにしては、石造りの堂々たる建物で、クルマから降りてじっくり見るとよけいすごいなと感じてしまう。




館の担当の方に「この建物は丹波市立とあるけど、市がこんな予算を使える訳がないですよね。どっかの事業家がボロ儲けして寄付されたんですか?」と聴いてみた。

女性の担当者の方が「実はそうなんです。近くの出身者の実業化が毛皮事業でボロ儲けされましてね、死んで金を持って行けるでなく子供たちの遺産争いの種にしたくないということで、20億円とか30億円とかの財産をつぎ込んで建てられ、市へ寄付されたんです。」



ほほぉ、やっぱりねえ。

道理ですごい建物だと思ったよ。

詳細は、こちら

今は、「永田萌の世界」という展示をやっていたので、ちょっと見てみた。

あまりボクの関心のないテーマだと思って観たが、これがなかなか素敵だった。

若い頃の作品は、少女趣味のメルヘンチックなありきたりな絵だったけど、パリで学んだ後に絹をキャンパスとして独自の世界を創り出した最近の作品は、何とも言えぬ心地よい和風なイメージも感じられる雰囲気を醸し出していた。

また、絵と対をなすエッセイとの組み合わせは、いいなあと思わず見入ってしまった。

ブログでもこんな雰囲気を醸し出せるかもしれないと感じさせられ、観て読んで何らかの雰囲気が伝えられる努力をしてみようと思った次第。


市役所の近くの青少年センターで、ボクが1期生として受講していた慶応技術大学の通信教育の授業中とのことで、地域委員を引き受けているK氏に誘われて、3期生の方々の授業を拝見した。



ネットワークを介した受講スタイルは継承しているものの、教材などはより効率的に作られているようだ。

授業の終わりにちょっとカメラの前に入れてもらうと、講師の先生方に「やあ、丹波の臼井さん。お元気ですか。」と声を掛けてもらった。

今は、このように部屋に集まって講師といくつかの地域の受講者と映像で結び、授業を行うという暫定的なスタイルだけども、もうすぐ自宅にいながら自分の趣向にあった勉強(というのかな)が当たり前になるのだろうな。

3期生だから受講生は若い子ばかりになっていると思っていたが、拝見するとボクの年代に近い人が多く、非常に親近感を抱いてしまった。

そのためか、近くの喫茶店でおしゃべりしませんか、と誘われてやたらうれしくなっていそいそとついて行った。

自分の住んでいる市内とは言え、誘われた喫茶店の場所が全く見当もつかず、前を行く仲間のクルマを必死で追いかけた。

途中、ありきたりな喫茶店もあったが、田んぼの中の瀟洒な喫茶店に着いた。

なんとおしゃれな喫茶店だねえ。

受講者の1人が最新型のiPhoneを持っているのを見て、「そう言えば、ボクが最初に使ったパソコンはMacSEだったなあ。」と言うと、「私はZ80を使っていましたよ。記憶装置はオーディオテープでした。」などと、同じ年代の人間同士ということを改めて実感しながら昔話に花が咲いた。

K氏はまだ40台の若さだったので、「へぇ、そんなだったんですか。」と感心していたというか、呆れていたのかな。



「ボクは、面白い企画を考えるのはうまいんだけど、事業化する能力がないので、この授業を受けていたんですよ。」と言うと「じゃ、我々が事業化しますので、ぜひ知恵を貸してください。」などと、大いに盛り上がった。

我田引水?


田植えも終わり、先月数本単位に植えた苗があっという間に10~20本くらいの株に育っている。

この成長力のすごさには本当に驚いてしまう。

大昔の人たちもこの成長力を見て稲作りを思いつき、定住生活が可能になったんだからな。

それ以来、千年以上もこの土地に根付いてきた訳で、稲作文化の歴史に思いを馳せてしまう。

前回、田舎に帰ったときは桜が満開で冬が終わったことを実感していたところなのに、もう初夏の雰囲気となり、畑のそばには野生のタチアオイが元気良く咲いている。



それはそうと、最近は好天続きなので田んぼの水の量も少なくなっている。

昔なら、ここで水争いが起きて大変だったのだけど、現在は、村の共有水栓を使って地下水を汲み上げ、共同溝に沿って自分の田に水を引き込むだけで済むので、本当に楽になったもんだ。

年老いた母も「昔は、大変やったなあ」と地下水の水栓を開きながら、しみじみと言った。



今やっていることは文字通り「我田引水」なのだけど、現在では自己中心に水に固執しなくとも、ちゃんと順番に自分の田に引水できるんだからなあ。

高齢者ばかりの田舎でも何とか農業が続けられるのは、このような便利な仕組みがふんだんに整備されているからとも言える。

しかし、その後は昔からの稲作りを便利にやるということでなく、作った稲の販売まで含めてどのように事業化するか、また自然とどのように共生するライフスタイルを築くかまで考えないと、若者が中心となった新しい田舎暮らしのイメージはできないのだがなあ。。。