2008年12月31日水曜日

年末のおしゃべり(その2)



朝、起きるとうっすらと雪景色。

こういうときはいつもやっかいなことになりがちなんだけど、今日はクルマが無事発進できた。

柏原駅のレストラン山の駅で、子供とともに出かけてくれた小橋氏と打ち合わせ。



害獣捕獲ロボットの進捗状況について説明。

その後、奥畑氏と地域活性化について情報交換をした。

彼は、兵庫県五国PR協会のような組織を結成して、各地域が有機的に連携した活動を目指したいと語った。



特に彼が注目した地域は、明石、須磨、小野、淡路、城崎など。

そのうち白浜とも連携したいね、と話した。

夜は、足立君と「何かやるなら、もう60才台しかないね。」などと人生を達観したような話をいつものファーストフード店でしゃべった。



夜は、いろんな人と今年最後のSkypeを楽しんだ。

さて、これから年越しそばを食べて寝るかな。^^

2008年12月30日火曜日

年末のおしゃべり(その1)

正月の帰省のため、丹波に帰って自分の部屋の整理をしていると、階下で母としゃべっている人がいたので、不自由な足で階段を降りてみた。



あれ?見慣れぬ顔が。。。

しかし、「あれ、久しぶりやね。」と話しかけたので、「あ、幸ちゃんだ。」と理解した。

もう10年ぶりとは言わないけど、すごく久しぶり。

ボクが「田舎は静かやね。」と言うと、

「子供がおらんからねえ。」との答え。

「そう言えば、高齢者ばっかりやね。」

「小学生なんか、この村から2名だけやからね。隣村の子供と一緒に学校に行っているから、20名くらいで登校しているけどね。」

「ボクと同期の人もあまりいないんで、帰省しても寂しいね。」

「そう言えば、Mさんも正月帰るけど家から出ないんで、会うこともないしね。それから、Aさんは、今年亡くなったんやて。」

などと、現状把握のための会話が続く。

夕方には、これから大阪に帰るという同級生のM氏と駅前の喫茶店でおしゃべり。



彼とは、中学生の頃からの時代の移り変わりや、政治のあり方など、あまり現実的でない話を楽しくできた。

夜は、部屋の整理をしながら、Skypeでおしゃべり。

こんなことができる時代になったんだから、体が不自由になっても遠くの友達とすぐにおしゃべりができる楽しみに浸れる。

2008年12月14日日曜日

今年も、宮の当の引継ぎの時期が。。。


今日は、毎年恒例の「宮の当の引継ぎ」の会合が村の公民館で開かれた。

古式に則った儀式をしていた方がほとんど亡くなって、比較的新しい世代の高齢者?が儀式を推進しているが、昔からの慣例にあまり拘っていない。

「以前は、羽織袴で実施していたなあ」「最初は、当番のくじ引きだったかなあ」「いや、まずはお神酒をいただくことからやで」などと、参加している方々の記憶を辿りながら進行していく。

ボクなんか、あまり村に居ないのでその辺りの風習に疎く、何の役にも立たない。

だんだん簡素化されてうれしい反面、古式に則った儀式のあり方にも興味をそそられる。

儀式は、11:00から始まり、お神酒とお供えしていたご飯をいただいた後、来年の当番のくじ引きを行ったが、ボクの属する西当は残り一家となる無抽選。

来年からは、さら籤となる。

この機会に、籤でなく順番制にしては?との意見もあった。

そのまま、料理とお酒をいただきながらの歓談になったが、村の状況が把握できないボクは、話題についていけない。^^

帰りは、雨が降っていたが、手が不自由で傘を持てないので、革ジャンを着て濡れて帰った。

丹波でも、近くの人と自宅などで語り合いたいけど、共通の話題があるかどうかちょっと不安。

でも、ボクの隣に座った今や西当の最年長である芦田氏は、現在、市の教育長を務めているそうなので、NPOで実施している小中学校を対象としたITキャラバン隊などの話題を共有できそうだ。



引越しの荷物も少しずつ整理しているが、取り敢えずフツーのパソコン利用環境には困らなくなった。

しかし、まだ荷物を整理するには、かなり時間がかかりそう。。

今日から、少しずつ寒さが厳しくなってきたので、石油ファンヒータを使うことにした。

2008年12月13日土曜日

イノシシの被害

久しぶりに丹波の田舎に帰ってみると、平坦なはずの自宅のすぐそばの庭が無茶苦茶に掘り返されている。

なんじゃ、こりゃ。



偶然、訪ねてきた親戚の姉さんと「これは、なんやろうねえ」と話し合っていたら、これまた勤務先の九州から偶然帰ってきたボクの妹が「これ、イノシシに荒らされたんよ。」と説明してくれた。

隣の畑だって荒らされてるよ、とのことで見てみると確かに一面、掘り返されていた。

それにしても、自宅の庭を荒らされるなんてヤバいんじゃないの?

それから、先日、白浜のホームセンターで見つけた、腰掛けて畑仕事ができるという小さなクルマを母にプレゼントしたら、「これは、便利かも。。。」と自ら腰を掛けてみていた。



便利だと思うけど、これを畑に持っていくのが手間かな?

2008年11月9日日曜日

少しずつ荷物を片付ける


先日引っ越した荷物を、少しずつ整理している。

とりあえず、自分の部屋に運び込んだ荷物はかなり片付けることができて、パソコンで作業ができたり、運び込んだテーブルで母とテレビを見ながらコーヒーを飲むことができるようになった。

昨日から急に寒くなってきて、扇風機よりファンヒータが必要になるような気持ちになってきた。

それでも、窓を開けて爽やかな風を受けながら、パソコンが使えるのはうれしい。

台所で食事をするとき、やたら寂しいので、持ち帰ったテレビを設置し、アンテナ線を分岐してちゃんと接続しておいた。

これまで、母は見たい番組の合間をぬってあわてて食事をしていたが、これで、落ち着いて食事ができるというものだ。

自分の部屋も本棚で2つに分離したので、もう一つのエリアにもテレビか、ステレオを置きたくなった。



パソコンでも、YouTubeなどの動画で楽しめるから、それでもいいんだけど。。。

いずれにしても、もう少し不用品を片付けないと、設置する場所の確保ができない。

片付けが終われば、いい環境になると思うんだけど。。。

2008年10月18日土曜日

荷物の運び込み


今まで住んでいた大阪のマンションを人に貸すことにしたので、急遽、自宅のマンションの荷物の一部を田舎に持って帰ることになった。

勤務することになって生活の拠点となる白浜のマンションに生活道具一式を送った後の残り荷物だったけど、思いのほか量が多く、引越し前日の夕方から当日午前中まで4名の作業員の方が必死で荷物を積み込んでくれた。

荷物はなんと4トントラック2台にきっちり収まる量になった。

運送途中で引越し屋さんもボクも昼食を済ませて、引越し先の丹波の自宅に向かったが、荷物はボクよりかなり速く到着していた。

今日は幸い絶好の引越し日和で、少し暑いくらいだったけど、爽やかな風に癒された。



大きな荷物は、トラックから直接2階のボクの部屋に運び込んだが、荷物が多くなるにつれ、整理しようにも身動きが取れないような状況になり、それぞれの荷物を最適な場所に配置するということができなくなった。

とりあえず、同じ建物の1階の土間に荷物を置いておき、ゆっくりと配置を決めることにした。

そのため、土間にはどんどん荷物の山ができはじめ、夕方搬入が終了する頃には、ほとんど隙間なく土間を荷物が占有することになってしまった。



肝心の2階も、荷物で身動きが取れない状態になったため、翌日、年老いた母と2階の部屋の荷物整理を行った。



何とか、テレビを見ながらパソコンを使える環境まで到達したけど、これから部屋を理想的な空間に再構築するためには、かなりの期間を要しそうだ。

でも、新しい空間の構築なんてのは、なんとなくワクワクする気持ちだ。

2008年9月30日火曜日

地域興しについて



丹波のNPO活動で幅広く活躍している小橋氏と話し合った。

彼は、丹波地域に永住する人を京阪神から呼び込もうとする活動なども行っている。

ボクも、丹波市をベースに何らかの事業展開をしようと思い、猪の捕獲に挑戦したが、事業への資金集めを企んでいたが、成果が出ないうちに和歌山のNPO活動に専念することになった。

そこで、しばらくの間、遠隔で情報交換しながら、それぞれのNPOで連携できるような方策について相談した。

その後、柏原駅のレストランで猪ラーメンを食べながら、大阪行きの電車を待ちながら、引き続いておしゃべり。

ここでは、どういう訳か、ボクが入院したときの話になって、発病のいきさつやリハビリで発見したいろいろな事柄を興味深く聞いてもらった。



2008年9月27日土曜日

母との買い物

母が買い物に行きたい!というので、クルマで近くのショッピングセンターに同行した。



クルマは、近くの畑の奥の車庫に置いているので、クルマを出しに行くと母が畑の入り口でチョコンと待っていた。

目的は、銀行や食材屋に行ったり、これから蒔く野菜の種を買い求めていた。

今日は、ほうれん草の種を買ったそうだ。

「これから種を蒔くと遅いですかね?」と店の人に聴いていた。

「いえ、ほうれん草の種まきは暑さが去ってからの方がいいので、ちょうどいい季節ですよ。」

そうか、近くの畑で採れる野菜の多くは、こうして種を買って蒔いているのだ。

いままでは、毎年、残った根から生えてくるような気でいた。



その後、食材を買うためにスーパーに行った。

2回へのエスカレータは自然に使えたのに、降りるエスカレータに乗るのにやたら手こずっている。

「下向きのエスカレータに乗るのはちょっと怖いなあ。。。」だって。

あまり慣れていないと、そんな感じになるのかなあ。

クルマで自宅に戻ったとき、改めて玄関の周りを見ると、前栽の木々の葉がすごく少ないではないか。

母に聴くと、昨日、庭師に来てもらって庭の木の剪定をしたそうだ。

ここには大層な木はないけど、家を取り囲むように植栽しているので、結構手間取ったそうだ。

2008年9月7日日曜日

 稲の取り入れシーズン到来




この間、ようやくボクの部屋の石油ファンヒータを使わなくなって、すぐに田植えをして、先日花火を見たばかりなのに、もう稲刈りのシーズンが到来した。

何と3ヶ月余りで、田植えのときに植えた5本くらい早苗の1セットが、あっという間に100本以上の稲の束となってすごい数の穂が実るのだ。

考えてみればすごいことだ。

今年は、先日、弟が稲刈りをしてくれたので、今日、ボクは稲穂から米を取り出す籾摺り(もみすり)作業を行うことにした。

毎年のことだけど、籾摺り機の操作確認を農業機械販売店の技術者に行ってもらい、1年振りの機械が無事に始動。

86歳になる母と、手伝いに来てくれた母の妹とボクの3人で作業をした。

例年なら、最も重い米袋の移動などを主にボクが担当していたのだが、まだ手足が不自由なので、母たちが苦労して動かさないとならなくて気の毒だったけど、なんとか今日の作業は無事に片付いた。



籾がもう半分残っているのだが、籾摺りの前に24時間程度の乾燥作業が必要で、今日は乾燥機に残り分を搬入するところまでだ。

現在は、最新式の機械ではないものの、乾燥機から籾をパイプで自動的に籾摺り機に流し込み、自動的に量を計測して袋に詰めるので、昔から比べると非常に簡単な作業になったことは事実だ。

昔は子供なりに手伝っていたが、穫り入れ期間中は死ぬほど忙しかったし、深夜まで作業が終わらなかったものだ。

学校だって農繁期休暇があったんじゃなかったっけ。

 

  

夜汽車も一興

大阪から丹波に帰るときは、どうしても夜になることが多い。

今日も、大阪発10時頃の福知山行き快速急行で帰った。

それでも、途中の尼崎駅から快速に乗ると、土曜日なのにすごい人の数でとても座れる余地はない。

宝塚駅でかなりの乗客が下車し、ようやく座れた。




最大のベッドタウンである新三田駅でどっと乗客が降りて、それ以後はガラガラで、ゆっくり帰れる。

その代わり、やたら停車してやたら時間がかかる。

ようやく、目的の黒井駅で降りるとタクシーがいない。

先に下りた客が使っているらしい。。。

そういうことで、夜間無人駅で1人寂しく30分余り待つことになった。

ま、急ぐ旅でもなし、のんびりと夜の駅で何枚か写真を撮ってみた。

秋の虫の音が派手に聞こえる静かな駅で、一人、パシパシと携帯デジカメで写した。

この静けさは、それなりにいい雰囲気だけど、このような活気がない状況でいいのだろうか?

2008年8月11日月曜日

プロジェクト助成金のヒアリング

猪や鹿の肉をおいしく食べるプロジェクトに支援してもらおうと、兵庫県に補助金の申請を出していて、今日県庁でヒアリングがあったので、一緒に推進しているK氏と会場に向かった。



しかし、ヒアリング作戦は見事に失敗し、質問に的確に答えられなかった。

料理や場所の担当を引き受けてくれていたレストラン経営のO氏が事情で参加できなかったのが、イタかった。

特に、以下のような質問にはキョトンとしてしまった。

・会場のレストランの2階も使いますか?

→質問には答えたけど、心の中は、<えっ、2階ってあったっけ?>< さあ。。。>

・肉は、鹿の腿を使うのですか? 大体、1kgいくらくらいなんですか?

→???

など、散々の出来。





でも、こういう機会のおかげで自分たちのプランを具体的にまとめられたので、結果としては非常に有効だった。

その後、大阪の梅田で、K氏の友達を交えて、こだわりの食材に力を入れているお店でホルモンを食べた。

この場で、早速、新しい企画プランを練って、次の活動を楽しく語り合った。




このレストランは、野菜や食器にもこだわっており、ボクらの推進するプロジェクトの1つのモデルになりそうだ。

2008年8月2日土曜日

原始生活の拠点



JR柏原駅から、車でわずか10分程度で、森の生活が楽しめる「悠々の森」がある。

駅から、わずか10分で、モロに森の中の風情を見ることができ、結構の数の人がキャンプに来ている。

そこには、竪穴式住居の復元もあり、なかなかいい風情だ。

ボクは、丹波市で仲良くなった仲間と、ここを拠点として「ギャートルズの世界」を作りたいと考えている。



そのためには、関係者といろんな打ち合わせが必要だけど、丹波の仲間が大阪に来たついでに、食事をしながら打ち合わせをした。

それにしても、仲間は兵庫県丹波市の意味を込めて「ひょうたん会」という会を結成し、揃いのTシャツでやってきた。

偶然とは言え、店の朱色の壁とTシャツの緑色のコントラストがものすごい。



原始生活とは反対のえげつなさがあって、正直、びっくりした。

しかし、場所はどこでもいいけど、何かを企むというのは、とても面白いものだね。

2008年6月21日土曜日

ノルディック・ウォーキング


野生動物に関して、いろいろと相談相手になってもらっているO氏が中心になって、鹿肉や家島の猟師から取り寄せたナチュラルフーズを食べるというので、参加した。

それに先立って、ノルディック・ウォーキングの講習会があり、神戸から3人くらいのインストラクターが来られて基本を教えてもらった。

ボクなんか、どうせ杖をついているんだから、1本の杖が2本に変わっただけで、大した変化ではない。

ところが、両手に杖を持って歩くと、簡単に大又で速く歩くことができる上、少なくとも杖を頼りに歩く姿よりかっこいい。

今日は、雨だったので、野山でウォーキングの練習ができず、近くの小学校の体育館を借りて練習した。小学校の体育館なんて懐かしいなあ。もう50年昔、体育館の中でチャンバラをしていたころを思い出してしまった。

それにしても、両手に杖を持つととてもバランスが良くすごく体が安定する。リハビリにもいいとのことだけど、確かに、不自由な方の足も、杖の支えというか、反動で楽にサッサッと歩けるので、足の不自由さを
あまり感じずに歩くことができる。

それに、メタボ対策や上半身の運動にすごく良いらしい。

そういうことで、速攻でこのステッキが欲しくなった。

これで、田舎の道を歩いたり、大阪の遊歩道を歩くと、とても楽しいように思う。

オークションで調べたら、さすがにまだ中古の商品は見当たらないけど、そろそろビジネスになり始めたような店が出品している。

その後、丹波悠々の森のコテージに有志が集まって、鹿肉や昨日水揚げした家島の蛸や魚を食べた。

宿泊者は途中で帰ったメンバーも含めると20人くらい集まった。



20台の若い活動家とも、いろいろな社会の状況をしゃべったけど、彼らはまだ社会のしくみをあまり知らない世代なんだろうな。

これから、若い人たちと連携して、事業を含めた面白い活動ができればいいな。

コテージの周辺で、長年見たことがなかった本物の蛍をたくさん見た。

2008年6月15日日曜日

2回目のスクーリング


今日は、地域起業家養成講座の2回目のスクーリング。

ボクが生き返ってからというもの、何を見ても新しい感覚で世の中を見るようになった。

新幹線ですら、「ほほ~、内装は飛行機のイメージだな」とか、「窓の外は、日本の原風景を垣間見られるすばらしい風景の場所や、「何とかならんのか」というくらい汚い街や、「コンクリートの中でこの人たちは暮らしているんだなあ」との思いなど、今まであまり考えなかったこの社会の目新しさがいっぱい感じられる。

やっぱり、去年この世から去りそうになって、引き返してきて改めて感じる感覚なんだなあ。

これまで、ネットワーク経由で議論していた講師の方や全国の人たちと久しぶりに現実の世界で語り合える。

ただ、今日、発生した岩手・宮城内陸地震の影響で、青森市の生徒が新幹線に閉じ込められて来れないというハプニングもあったが、参加者は元気に勉強した。

ボクは、コミュニティビジネスの助成金申請を昨日までやっていて、全然課題ができていなかったが、討論には積極的に参加した。

今回の講師は、慶応義塾大学の先生でなく、企業で多くの実績を築いてきた現役の女性がコーディネータ役。



遅い新幹線の切符を予約していたので、夜の懇親会や2次会にもバッチリ参加できて、自分の進めたいビジネスの話も聴いてもらい、結構楽しかった。

せっかくの有意義な講義内容を活かさない手はないので、この分析手法を自分のビジネスの検討に使ってみよう。

2008年6月14日土曜日

夏近し


ついこの間、桜が咲いたと喜んでいたら、もう田舎は真夏のイメージが漂っている。

1週間前に蕾だったタチアオイの花が、もう満開。

近所の畑を歩いているだけで、こんな季節の花に囲まれるのだ。

今は、偶然、生えてきた花を、草刈のときに刈らずに残しておいただけだけど、もう少し、カッコ良く植えたりするともっと面白いだろうな。

あまり、人工的でなく、雑然と咲いているのがいいのかも知れないが。。。

2008年6月10日火曜日

猪ラーメン


ボクが大阪に行くときの起点としている「柏原駅」構内のレストランで、O氏が提供している「猪ラーメン」がある。

一度、食べたけど、結構いける。

と言っても、ブタの代わりとしていけるという意味で、これが特別新しい味を産み出した、というところまではいかないけど、まだ発展途上という感じだ。

しかし、ボクなんか、脂肪がブタより少なくて、きりっとした味が好みだから、結構いけてると思うのだ。

そのO氏が大阪のある会社に「猪ラーメン」をアピールするのだ、と調理車(というのか知らんが)を借りて大阪のうつぼ公園付近で試食会をやるというのだ。

ボクも当日、都合がついたので、大阪の自宅から散歩がてらに、見に行った。

今日、ビジネスで打ち合わせに来られた、N氏にも同行してもらった。

まだ、本格的な都会進出とまではいかないけど、O氏のアクティブな活動は面白いと思う。

2008年5月26日月曜日

鹿肉はうまいか

先日、丹波市で行われているセミナーの席に丹波市商工会のO氏が来られて、今度の丹波の夏祭りに鹿のソーセージを使った鹿ホットドッグを出そうと思っているが、面白いアイデアはないか?」と話された。

横から、ボクが「ギャートルズの世界を演出したら?」と提案したら、「それは面白い。ばっちりフィットする場所があるんですよ。」と言っていたのを思い出した。

今日は時間があるので、唐突だったがO氏に電話すると、朝来て欲しいとのことだったので、早速、伺うことにした。

名刺を見ると、柏原駅の構内レストランの経営をされていたので、直接、駅のレストランに行って、「鹿肉ソーセージ」を食べさせてもらった。

確かに、普通のソーセージと比べて色は黒いが、味はほとんど変わらない。

「これは、いけますねえ。」

彼は、「そうでしょ。」とちょっと、得意顔。




「これから、ギャートルズのイメージにピッタシの場所に案内しましょう。」と言って、クルマで10分くらいの「悠々の里」に連れて行ってもらった。

そこには古代の竪穴式住居のような建物や宿泊できるテントが並んでおり、近くに、バーベキューができるハウスもある。

「おお、これはいいね。ギャートルズの世界そのものですね。」とボクがはしゃぐ。

「このように、既にインフラが整っているんですからね。後は、如何に活用するかですよ。」

確かにそうだ。一帯に観光客の姿は全然見えない。

う~ん、これは、うまく活用すると面白いかも知れないぞ。





また、先日、経済産業省の公募のヒアリングに参加したとき、「捕獲した動物の処置については検討されていますか?」との質問が出た。

ヒアリング出席者の一人である森林動物研究センターのS先生が、「捕獲した動物の食料としての流通ルートの確立などを研究しています。」と答えられたので、今日は、捕獲後の対応について、森林動物研究センターを訪ねた。

同センターでは、当面、鹿肉の活用について「ニホンジカ有効活用研究会」を開催して、まず鹿肉の料理方法などを研究しているそうだ。

研究会を担当されているT研究員から、現在の状況をいろいろと教えてもらった。

聴くところによると「噂では、鹿肉はバサバサでまずいとの評価だけど、実際食べてみるとうまさは牛肉とそれほど変わらないし、調理しだいでとってもおいしくなる」とのこと。

「実際に、近くで鹿肉の料理を出しているお店があるから、行ってみたらどうですか?」

ということで紹介され、早速お店の店長さんを訪ねた。

そうすると、「鹿肉のレシピは、もう120種類ほど作りましたが、結構うまいですよ。特にもも肉などは塩コショウだけで、おいしく食べられます。」とのこと。

店の近くに旅館「わらびの里」も経営されているそうなので、機会があれば、ゆっくりと鹿肉を堪能したいものだ。


夕方、K氏に自宅に来てもらって、「野生動物をおいしく食べる会を作りたいんだけれど。。」と相談した。

彼は、「丹波は野菜も新鮮だから、「野生動植物」がいいんじゃないの?」と言った。

うん、うん、それはいい。

めちゃんこワイルドな感じがいいから、「ワイルドライフ」という組織名がいいね。

「これで、陰極線ばかりを浴びて、陰気になっている都会人を解放してあげよう」と勝手に盛り上がった。

でも、K氏は「面白いですねえ。」と乗り気になってくれたので、ちょいとやる気になってしまった。

2008年5月25日日曜日

丹波竜の発掘


自宅の表に立っていたとき、偶然通りがかったクルマから、「お~い。何してるんや。」と声をかけられた。見ると、中学時代の同級生のT君だ。「おお、どこへ行くの?」と聴くと、「化石工房!」と言うので、「えっ、俺も連れてってくれ」と頼んだら「ええよ。乗れよ」ということで、彼のクルマに同乗してJR谷川駅近くの「丹波竜化石工房」に行った。

それは、2年前の夏のことだった。
川代渓谷で2人の化石マニア?が、一片の化石を発見したのだが、それが後日1億4千万年前の草食恐竜のものと分かり、大騒ぎになったのだ。

早速、昨年の1月より本格的な発掘が始まり、恐竜の尾っぽのほぼ全体の骨が得られた。夏の間は、谷川の水かさが増して、発掘できないため、この冬に第2期発掘調査が行われたが、そのとき、T君はちょうど定年退職になったので、発掘ボランティアに参加したとのことだ。

参加してみると、彼が現役時代に近くの酪農工場でミルクの成分分析などで培った、顕微鏡の取り扱い技術などが大いに役に立つことが分かって、とても楽しいそうだ。

ほほ~。なるほどね。

彼は、定年退職という時期と化石発見の時期がばっちりマッチングし、しかも自宅の近くだったという幸運に恵まれて、田舎では珍しいアカデミックな活動に参画することができたということだ。




ボクも恐竜やUFO(関係ないか。。。)は大好きなので、何らかの形で参加したいんだけど、情報処理の分野で参加するとなると、恐竜関係の情報整理や情報発信などになるかなあ。

先日、恐竜をネタにしたイベントの委員をやっているK氏に、こんな恐竜祭りをやったら、盛り上がるんじゃないの?と、あるアイデアを提供したが、こういう仕掛けを発信することはできるかもしれないね。

丹波竜の発掘などに関しては、既に詳しいサイトが提供されている。

2008年5月19日月曜日

事業用のクルマとして登録しよう


田舎では、クルマがなければ生活ができないのは事実。

食べ物を買いに近くのスーパーに行こうと思っても、クルマがなければバスかタクシー以外に手段がないのだ。

そのバスが1日に2本程度なんだから、病院の診察に1日かけて行くなどのほかは、ほとんど使えない。

まさか、スーパーやコンビニに行くたびに、タクシーを使うわけに行かないよね。

その上、脳卒中の後遺症で、左半身が少し不自由だから歩いて行くこともままならない。

元気だったら、30分くらい歩くとスーパーに行けるんだけれど。。。

ということで、仕方がないから、中古車を購入した。

しかし、実家の丹波市で車庫証明を受けたいけれど、自宅から近くないと許可が下りない。

現在、ボクの住民登録は大阪市にあるが、大阪市内ではクルマは要らない。

このために、大阪市内に車庫を借りるのも無駄だし、大阪に置いておいても役に立たない。

これから丹波市で仕事をしたいので、昔、大阪市で行っていた「技術士事務所」を実家に移し、そこで開業届けを出すことにした。

会社の営業所などがあれば、クルマの車庫証明が取れるということなので、主に事業用としてクルマを利用することにしよう。(ただし、開業届けは、納税する大阪市で申請)

ただし、個人事務所なので、そのクルマを事業用に使うという誓約書を書く必要があるらしい。



それにしても、「車庫飛ばし」などの犯罪に使われることを防止するためとは言え、純粋にクルマを必要としている善良な市民に不便を強いるようなルールは作って欲しくない。

もし、悪意で行ったという実態があれば厳罰を科すということでいいじゃないか。

思うに、悪意の行為にまともに処罰できる法律がないから、こんなややこしいルールを作って、一般の人に不便を押し付けているんじゃないのかなあ。

ま、時間があったら、どんな法律でどのようなアナがあり、そこを突いた犯罪がどれくらい行われていて、不法行為を行った場合にどれだけの罪があるのか、などを調べてみたいと思う。

2008年5月14日水曜日

寂れた駅

丹波市のボクの実家は、数年前に脱線事故を起こしたJR福知山線で、大阪から約2時間のところにある。

大阪に近い方の駅「石生」(いそう)と、次の「黒井」駅の中間付近に位置する。

もう何十年もの間、地元では福知山線の複線電化を目指して活動を行って来たが、近年は舞鶴自動車道が開通したこともあって、多くの人はクルマで行き来するようになり、ますます鉄道の利用者が減っているようだ。

石生駅は、本州で最も低い分水嶺であり、日露戦争の頃には大阪や神戸から日本海の舞鶴に抜ける運河建設構想もあったそうだ。





しかし、その代わりとして、大阪から舞鶴に鉄道が敷設され、現在の福知山線になったのだ。

時代は変り、現在の輸送は、舞鶴自動車道がその役目を担っている。

大阪の近郊では、宝塚~篠山口間が待望の複線電化が行われ、三田(さんだ)などの沿線開発が急ピッチで進んだため、乗降客が大幅に増えた。

しかし、篠山以遠は、一気に乗客が減って、丹波市の駅はどこも寂れる一方で、比較的賑やかだった駅前もぺんぺん草が生えるばかりの状況だ。

黒井駅も、駅周辺は商店街どころか住宅も少なく、人の姿もあまり見かけないほどだ。

2008年5月1日木曜日

親切なサービスも。。。

田舎ではクルマが不可欠と書いたけど、クルマがあっても困ることがある。

それは、農業では機械化が進んでおり、トラクタなどに軽油やガソリンが結構必要になる。

それらを購入するとなれば、近くのガソリンスタンドにクルマで行って、ガソリン保存容器に入れてもらって持ち帰ることになるんだけど、保存容器に油がついていたり、もれたりするとクルマが汚れるので、本来は軽トラックや作用用のクルマを持つべきだろう。

しかし、残念ながら、ボクのも妹のも普通の乗用車なので、油のにおいや汚れが車内に残ると、とてもつらい。

そこで、スタンドに電話をして、持ってきてもらえる?と聴くと「いいですよ」とあっさり引き受けてくれ、スタンド作業に余裕ができたら、専用の車両で届けてくれた。

100円ほどの手数料が必要だったけど、これは便利だ。

やっぱり、田舎であれば、それなりのサービスがあるものだね。




しかし、そういうサービスがあることを田舎で暮らしている母親が知らない。

母親の時代は、すべて自分で行い、人の手を借りないことが主体的な生き方だったんだろうね。

最近は、何でも社会のせいにして、使いまくることが社会的だと思っているフシがあるので、どちらが良いとは言えないけれど、それにしても社会的なサービスが提供されているなら、不自由さを必死で我慢するのでなく、感謝して受け入れればいいと思うんだけどなあ。

でも、「人様の世話にならないで、可能な限り自分でなんとかしなければ」という自律の精神は現在の社会の崩壊を回避する1つの手段でもあるけどね。

なんでも、社会や行政のせいにして、社会に役立とうと思わない人間が増えれば、コストのかかる社会になり増税という負担がかかってくるのは止むを得なくなるだろう。

2008年4月28日月曜日

クルマは必需品

昨年、脳出血のため入院し、何とか無事に退院できたけど、ちょっと後遺症が残った。幸い、記憶やおしゃべりには影響がないようだが、左半身がちょっと不自由だ。

左手が後ろに回らないなどの軽い障害で、左足が頭で思ったように前へ出ない。リハビリ病院で鍛えてもらったせいか、室内ではびっこをひきながらではあるけど、かなり歩ける。屋外でも最初はOKだけど、だんだん足を引きずるようになり、めちゃしんどくなる。「筋肉が衰えているのも原因だから頑張って歩くなどすれば、回復の見込みはありますよ」とのうれしい診断。



とりあえず、バスや電車を最大限活用しながら、大阪の自宅と丹波の実家へ行き来ができるので、リハビリや社会復帰のためにも、一人暮らしの母親の様子を見るためにも、できるだけ行き来することにしている。

大阪では、バスを中心に、元気なときとはまったく違った手段でも動けるけど、田舎ではそうはいかない。

クルマがなければ、近くのコンビニにもいけないのだ。

幸い、入院していた病室にいた方から「もう、自分はクルマに乗れそうにないので」と言って、所有車を安く譲っていただき、丹波市の実家で便利に使っていたが、はやくも車検の時期になってしまった。

整備と車検にかかる経費と比較したら、車検つきで自分好みの中古車を買ったほうが得だと判断して、ネットオークションで旧モデルの「ソアラ」を買った。この車は若い人が乗ればバンバン改装しぶっ飛ばす可能性のあるクルマだけど、今回見つけたのは、近所の比較的高齢者が持ち込まれたものだそうで、まったくノーマル仕様で走行距離も短い。



このクルマ、大阪市内で使う必要性はないので、丹波市の実家に置きたいのだけれど、ボクの住民票が大阪市にあるので、自宅との距離の関係で車庫証明が取れない。

そこで、クルマは親父名義で購入し、僕が借りて乗ることにしている。

ところで、障害者として高速道路料金の割引を申請しようとすると、一定の要件を満たしている車両1台限りとなっているが、ETCは自己のものに限るが、クルマは自己所有でなくともよさそうだ。

早速、管轄の柏原警察署に行き、車庫証明の用紙をもらった。インターネットで車庫証明などの用紙をダウンロードしようと思ったら、有料で送ってくれる代行屋のサイトばかりだ。

自動車保有者からはさまざまな税金を取っておいて、申請用紙もダウンロードできないとは、どういうことだ。

次に、希望ナンバーを申請することにした。これはインターネットで可能だが、検索しても代行屋ばかりがひっかかる。おまけに、車検証の使用者などを入力する項目があるんだけど、これから名義を書き換えて使用者を変更しようとしているのに、車検証に書かれた所有者でもいいの? いくら説明を読んでも車検証に記載した氏名と書かれているので、仕方なく陸運局に電話をして聞くはめになった。「ここは、これから使おうとしている実際の使用者の名前を書いてください」だと。もうちょっと分かりやすい説明にしないとダメだね。

それに、関係するところにバカスカでてくる代行屋の存在が気になる。どういう権限でこういうビジネスが可能になるんだ? 誰でも、かってにどうぞ、という訳にはいかない筈だろ?

とにかく、早く実家に事務所を置いて、業務用として登録すべきなのかなあ。

2008年4月21日月曜日

花見の宴

ボクの田舎の村には、東地区と西地区に分かれて「宮の当」の行事を行うことがある。

今回は、西地区の人たちと、近所の小さな料亭で「花見の宴」を行った。



都会暮らしのボクにしたら、「せっかくの花見を部屋の中でやるとはもったいない」と思ったけれど、実際に料亭の座敷に通されると、窓の外には素敵な桜が咲き誇っていた。

なるほど、こりゃいい。




久しぶりに、近所の人たちとゆっくり語り合い、飲みあうことができた。

これも、なかなかいいもんじゃないか。

ところで、せっかくの田舎の旅館だから、やっぱり田舎ならでは、と言うところを見せて欲しいと言ったら、「おっしゃっていただければ、イノシシのボタン肉でも作りましょうか?」と女将が言った。

おお、それはいい。

また、今度、大阪のだれかとミーティングをやるときは、是非、そうしたいものだ。