2009年12月6日日曜日

神社のお掃除

ボクが田舎に帰っている間に、我が家が村の氏神さまの境内掃除の当番に当たっていたので、老いた母親に代わってボクが参加することにした。



ボクがほうきをもって落ち葉の掃除をするのは、小学生以来じゃないかなあ、と思ってなんとなく楽しい気持ちだ。

日によって足の調子が違うのだけど、今日は比較的快調なので、杖なしでほうきを持って神社に行った。

もう数人の当番の人が掃除を始めていた。



今日は天気がいいので、落ち葉が軽く掃き取れ、なかなか快適な掃除だった。

掃きまとめた落ち葉は1箇所に集めて、火をつけた。

神社で落ち葉焚きという非常にエレガンスな情景となった。



都会だと、焚き火などはなかなか許されないんだろうけど、今日は風もないし田舎だったら一般に認められているんだろうなあ。

こういう活動もリハビリと考えれば、ボクにとっても適当な運動なんだが。。。

2009年12月5日土曜日

秋の終わりか年末か

12月になって、久しぶりに自宅に帰った。

前に帰ったのは、秋のど真ん中だったが、今回はもう晩秋になっていて、山のあちこちが最後の紅葉に染まっている。



春日町役場に所用で行ったが、休日だったので通用口で職員の方とおしゃべり。

近くの保月城跡の山も晩秋の風情だ。

冬が近いこともあって、天候も晴れたり雨が降ったり、コロコロと変わる。

晴れている間に、リハビリのため自宅の近くの農道を歩いた。



ある程度足場が良ければ、杖なしで散歩できるのだが、日によって左足の調子が違う。

今日は、比較的調子が良かったが、かなり北風がきつく風邪を引かないように早めに切り上げた。

2009年10月18日日曜日

寂しい秋祭り


1ヶ月ぶりに丹波に帰ってきたが、田舎はもう秋の風情になっていた。

線路沿いの土手にも、ススキをはじめたくさんの秋草が生え茂っている。

いい天気だったので、自宅の前の道路を散歩した。

暑くもなく寒くもないちょうどいい気候で、足の調子も良かったので、杖なしで散歩できた。



また、我家は氏神さまの灯明の当番だったので、母と神社に行ったのだが、参道に幟が立っていた。



そうか、今日は氏神様の秋祭りだ。

神社に着くと、祭り当番の方が、祭りの灯明の準備中だった。

「最近は、祭りの参拝者も少ないんでしょうねえ。」と聴くと、「そうやねえ。村に子供もあまり居ないんで、寂しいねえ。」との返事。

そうだなあ。ボクの子供の頃はお神楽が出たりして子供づれで多くの人が集まっていたもんだ。



もっと昔は、境内の手前に建物があり、能舞台が存在していたなあ。

子供も少なくなり、大人も高齢化してしまって、これからの田舎はどうなっていくんだろう。

2009年8月21日金曜日

オヤジが入院

暑さ真っ盛りの中、老人ホームに有居していたオヤジが突然近くの病院に移ったとの連絡があり、早速オフクロと病院を訪ねた。



病院までは、峠越えが最短コースだったので、クルマでトライしたけど、リハビリ中のボクにとってはちょっときつかった。

目的の病院は山際の田んぼの中にあったけど、比較的きれいだった。

病院に着くと、めちゃ暑い中を院内に入りオヤジのベッドに行ったが、オヤジは思ったより元気だった。





看護婦さんから、パジャマの準備などいくつかの指示をもらったが、「しばらく様子を見て、大丈夫だったら、また元の老人ホームにお届けします。」とのこと。

オフクロも、「一時あわてたけど、これで安心したよ。」と言った。

それにしても、お盆が終わったところだけど、もう稲の穂が垂れていた。

2009年8月14日金曜日

常夜灯

夏まっ盛りの田舎で、今日は神社の常夜灯の当番に当たっていたので、母と夕方神社に出かけた。

昨日も雨で、梅雨の残りみたいな天気だったが、今日はバッチリ真夏の風情。



田舎の空気は爽やかでスモッグがないだけに、とても日差しが強い。

そのため、昼間に出かけるときは、麦わら帽子が欠かせない。

神社まで、ゆっくり歩いて約10分だが、年老いた母は途中休憩しながらぼちぼちと行った。

神社は大木に守られて日陰となり、涼しい。



本当は、日没後に点灯すべきなのだろうが、暗くなると足元が危険なので、少し早いけど常夜灯に蝋燭を立てて点火した。

村の会合でも、いっそのこと電灯に換えてタイマーで点灯したら、という話題は良く出されるのだが、明かりが点くことよりも火を奉納することに意義があるのではないか、との意見が優勢なのだ。

確かに、高齢者にとっても、この機会に屋外を散策できるんだから、悪いことではないが。

途中、犬の散歩をしている婦人と会ったが、「子供が犬を飼えと言うので飼ったが、いつも散歩の世話は私になるんです。でも、この機会に歩けるから、体にはいいと思いますよ。」と言っていたので、そういうチャンスを健康のために利用するという心がけが大切なのだ。

2009年8月13日木曜日

これぞほんもののたこ焼き

盆の間、田舎に帰省しようと、朝4時に紀州田辺を出て丹波に向かった。

さすがに、早朝だけあって大阪までの高速道路はばっちり空いていた。

ところが、恐ろしいことに、夜も明けぬこの時間帯でも反対向きの白浜温泉方面の道路は大量の車が走っていた。

この人たち、何時に出発したんだろうな。



大阪から中国道に入ると、さすがに混雑し始めた。

ま、それくらいは想定内だけど、やはり2時間くらい渋滞に巻き込まれた。

こういうとき、片手運転はやたら疲れる。

そこで、渋滞を抜けたところのサービスエリアでちょっと休憩。

少し腹が空いたので、たこ焼きを買った。

ん?これはすごい。

フツー、たこ焼きには蛸の足のカケラがポテッと入っているのだけど、ここで売っていた「踊りたこ焼き」というのは、ナント各個に蛸が1匹ずつ入っているのだ。

食べようとしたたこ焼きから、足が8本も出ていたのでびっくりしたよ。

海岸沿いのサービスエリアだったら、こういうサービスもあってもいいけど、ここは丹波の山奥だけどね。

しかし、若狭湾から大阪方面に魚をどんどん運んでいる道路なんだから、別に不思議ではないかな。



自宅に着いて、畑の横の駐車場にクルマを停めたら、まわりは完全な夏景色。

オフクロが、自分の好きな野菜を栽培し、カラスやイノシシと獲物の取り合いをしている畑もいまは夏草の攻撃に遭っていた。

「夏草や そこいら中オフクロの趣味の跡。」

2009年6月14日日曜日

緑の公園


丹波市役所のすぐ近くにこんもりとした森があり、近くにクルマを停めて歩いてみた。

麓は公園になっていて、看板を見ると「甲賀山公園」と書いてあった。

もともと高岡山と呼ばれていたが、戦国時代に甲賀衆が住んでいたことから甲賀山とも呼ぶようになったそうだ。

丹波には、そんな小さな神社や城跡がそこいら中に残っており、さすが京の都の郊外であり、豊かな土地を獲得するために、多くの武将が争った山城の跡が見られる。

今後、時間が取れれば、ゆっくりそれらの城跡などを巡ってみたいな。



それにしても公園から見上げる山は、文字通り「緑の洪水」。

ボクの足が丈夫だったら、この小山を登って、周りの爽やかな景色を眺めてみたい。

2009年6月13日土曜日

田舎の豪華な美術館

久しぶりに田舎に帰って市役所に向かう途中、いつも通り道で気になっている美術館に立ち寄った。

その美術館は、田舎の田んぼの中に建っているにしては、石造りの堂々たる建物で、クルマから降りてじっくり見るとよけいすごいなと感じてしまう。




館の担当の方に「この建物は丹波市立とあるけど、市がこんな予算を使える訳がないですよね。どっかの事業家がボロ儲けして寄付されたんですか?」と聴いてみた。

女性の担当者の方が「実はそうなんです。近くの出身者の実業化が毛皮事業でボロ儲けされましてね、死んで金を持って行けるでなく子供たちの遺産争いの種にしたくないということで、20億円とか30億円とかの財産をつぎ込んで建てられ、市へ寄付されたんです。」



ほほぉ、やっぱりねえ。

道理ですごい建物だと思ったよ。

詳細は、こちら

今は、「永田萌の世界」という展示をやっていたので、ちょっと見てみた。

あまりボクの関心のないテーマだと思って観たが、これがなかなか素敵だった。

若い頃の作品は、少女趣味のメルヘンチックなありきたりな絵だったけど、パリで学んだ後に絹をキャンパスとして独自の世界を創り出した最近の作品は、何とも言えぬ心地よい和風なイメージも感じられる雰囲気を醸し出していた。

また、絵と対をなすエッセイとの組み合わせは、いいなあと思わず見入ってしまった。

ブログでもこんな雰囲気を醸し出せるかもしれないと感じさせられ、観て読んで何らかの雰囲気が伝えられる努力をしてみようと思った次第。


市役所の近くの青少年センターで、ボクが1期生として受講していた慶応技術大学の通信教育の授業中とのことで、地域委員を引き受けているK氏に誘われて、3期生の方々の授業を拝見した。



ネットワークを介した受講スタイルは継承しているものの、教材などはより効率的に作られているようだ。

授業の終わりにちょっとカメラの前に入れてもらうと、講師の先生方に「やあ、丹波の臼井さん。お元気ですか。」と声を掛けてもらった。

今は、このように部屋に集まって講師といくつかの地域の受講者と映像で結び、授業を行うという暫定的なスタイルだけども、もうすぐ自宅にいながら自分の趣向にあった勉強(というのかな)が当たり前になるのだろうな。

3期生だから受講生は若い子ばかりになっていると思っていたが、拝見するとボクの年代に近い人が多く、非常に親近感を抱いてしまった。

そのためか、近くの喫茶店でおしゃべりしませんか、と誘われてやたらうれしくなっていそいそとついて行った。

自分の住んでいる市内とは言え、誘われた喫茶店の場所が全く見当もつかず、前を行く仲間のクルマを必死で追いかけた。

途中、ありきたりな喫茶店もあったが、田んぼの中の瀟洒な喫茶店に着いた。

なんとおしゃれな喫茶店だねえ。

受講者の1人が最新型のiPhoneを持っているのを見て、「そう言えば、ボクが最初に使ったパソコンはMacSEだったなあ。」と言うと、「私はZ80を使っていましたよ。記憶装置はオーディオテープでした。」などと、同じ年代の人間同士ということを改めて実感しながら昔話に花が咲いた。

K氏はまだ40台の若さだったので、「へぇ、そんなだったんですか。」と感心していたというか、呆れていたのかな。



「ボクは、面白い企画を考えるのはうまいんだけど、事業化する能力がないので、この授業を受けていたんですよ。」と言うと「じゃ、我々が事業化しますので、ぜひ知恵を貸してください。」などと、大いに盛り上がった。

我田引水?


田植えも終わり、先月数本単位に植えた苗があっという間に10~20本くらいの株に育っている。

この成長力のすごさには本当に驚いてしまう。

大昔の人たちもこの成長力を見て稲作りを思いつき、定住生活が可能になったんだからな。

それ以来、千年以上もこの土地に根付いてきた訳で、稲作文化の歴史に思いを馳せてしまう。

前回、田舎に帰ったときは桜が満開で冬が終わったことを実感していたところなのに、もう初夏の雰囲気となり、畑のそばには野生のタチアオイが元気良く咲いている。



それはそうと、最近は好天続きなので田んぼの水の量も少なくなっている。

昔なら、ここで水争いが起きて大変だったのだけど、現在は、村の共有水栓を使って地下水を汲み上げ、共同溝に沿って自分の田に水を引き込むだけで済むので、本当に楽になったもんだ。

年老いた母も「昔は、大変やったなあ」と地下水の水栓を開きながら、しみじみと言った。



今やっていることは文字通り「我田引水」なのだけど、現在では自己中心に水に固執しなくとも、ちゃんと順番に自分の田に引水できるんだからなあ。

高齢者ばかりの田舎でも何とか農業が続けられるのは、このような便利な仕組みがふんだんに整備されているからとも言える。

しかし、その後は昔からの稲作りを便利にやるということでなく、作った稲の販売まで含めてどのように事業化するか、また自然とどのように共生するライフスタイルを築くかまで考えないと、若者が中心となった新しい田舎暮らしのイメージはできないのだがなあ。。。

2009年5月5日火曜日

日本海を見たぞ~



最近は、毎日太平洋を眺めて暮らしているので、ゴールデンウィークには久しぶりに日本海を見たいと思い、丹波の実家に帰ったついでに、丹後方面に出かけた。

途中で、出石に立ち寄って、出石城を見た。はじめてだな。この城跡に行ったのは。

出石は小京都と言われるだけあって、子ぶりながらとてもすてきな街だった。
また、本当に久しぶりだったが、名物のそばを食べた。
うん、やっぱりうまいなあ。



その後、近くの城崎温泉に立ち寄って、柳並木の素敵な街の風情を感じながら、温泉に入った。

この温泉は、洞窟風呂が有名だそうで、番台のおっちゃんが、「城崎には、ここを含めて7つの市民湯があり、そのうちの4つは、源泉から共通の給湯装置で配分しているんですよ。」という話だった。

自慢の洞窟風呂に入ったけど、さすが5月だけあって、湯に菖蒲の葉が浮かせてあった。



この日は、天気は快晴ということでなく、まあまあ爽やかなうす曇だったけど、日本海が見えたらやっぱり感激。

それも、フツーの田んぼの向こうがすぐに日本海というのは、すごいけど、それに何も感じない地元の人の意識はどうなっているんだろう。

多分、こういう景色を見て、すぐに金儲けや地域興しの発想が出てくることこそ、いじましいんだろうな。

日本人は、素敵な景色の中で、モクモクと働く姿が最も似合っているのかもしれない。



丹後半島を一周して、ボクの若い頃に訪れた浦島神社に立ち寄った。

前回訪れてからもう20年くらいになるだろうか。

神社そのものは当時のままだったけど、その前に「浦島館」というありふれた田舎行政の見本のような建物が建っていた。

実際、ちょっと浦島の歴史的な意義などを見ていきたかったけど、5時で閉館になっていた。

何でも自分たちの都合に合わせる行政の体質を垣間見た感じがした。



日暮れが迫ってきたので、天橋立に行って、対岸から松林を望みつつ、コーヒーを飲んだ。

海を眺めて波音を聞きながら、おいしいコーヒーを飲むというのは、僕にとって至福の時間だ。

偶然とは言え、夕方にこんな気分を味わえたことはとてもうれしかった。

2009年4月7日火曜日

春爛漫だけど。。。


丹波に帰った時期が、ばっちりと桜の開花に合ってしまった。

おまけにいい天気に恵まれ、やたらうれしい。



知人と喫茶店で打ち合わせしいた後、横を流れる黒井川の堤防は桜が満開。

自宅に帰る途中に立ち寄った神社の参道も桜の花と爽やかな風。


森林動物研究センターに打ち合わせに行く途中の堤防も長~い桜だ。



腹が減ったので、ちかくの川辺で桜を眺めながらコンビニで買った弁当を食べた。

そのまま高速道路に乗って白浜に向かったけど、途中の紀ノ川パーキングエリアでちょっと一服。

しかし、まあ、どこにいても桜の来襲みたいで、日本中、狂っているんじゃないかと思った。

2009年3月8日日曜日

確定申告




確定申告のシーズンがやってきたので、母と申告のために春日町役場にでかけた。

申告初日とのことで、結構混んでいた。

途中、病院の領収書を取りに行ったり、印鑑が必要だとのことで、自宅に戻ったり、1日がかりで申告を終えた。

やっていることがもはや21世紀の事務だとは思えないけど、これが仕事だと信じている人と一日協業したわけだ。

ま、現場で申告の相談に乗ってくれた担当者が、端末でデータを入力して申告書をプリントしてくれたので、コンピュータのカケラを活用したと言えなくはないけどね。



情報化社会というのは、旧式なパソコンでデータを入力してプリントすることだと思っている20年遅れの認識みたいだけど、無いよりマシというものだろう。

2009年3月1日日曜日

焚き火


久しぶりに、丹波に帰ってきた。

最近は、海辺の田舎風都会暮らしに浸っていたので、モロ田舎は久しぶり。

母が、ボクの引越し後の荷物などを整理して集まったゴミの焼却をしたいと言うので、風もない穏やかな時間を見計らって、裏庭で焼いた。

一人暮らしなので火事になったら大変ということで、ボクが自宅に居る間に焼却することにした。

折から、近くを春の防火運動の呼びかけをしながら鐘を鳴らして消防車が通り過ぎる。

家の前で焚き火をしているばあさんとおっちゃんを見つけて、防火運動中の消防署員がとんでくるかと思ったが、そのまま次の村を目指して通り過ぎて行った。

今日から3月なので、朝は濃い霧が立ち込めていたが、本格的な春になっただけあって日差しも暖かい。



中庭にも、ささやかだが紅梅が咲いていた。

2009年1月18日日曜日

たまにはね。。。


1月にしてはとても暖かく、いい天気に恵まれた日に、丹波に向かってドライブを楽しんだ。

左手が不自由なので、楽しんだと言うほどの快適さはなかったけど。。。



それでも、先日愛車に取り付けてもらったナビの使い心地などを確かめながら走った。

ラジオを聴きながら、ナビの案内とレーダー探知機の警告が流れるのだから、うるさいの何のって。。。



まあ、これで古風だった愛車もかなりモダンな出で立ちとなった訳だが。

白浜から5時間くらい高速を走ったのですごく腹が減ってきたので、高速を降りたところのスーパーで肉を買い、自宅にもどって母と二人で焼肉パーティをやった。

母は、こういう食事はまったく経験がないそうなので、ときどきボクの知っている程度の食事をしてあげるか。

たまにはね。

2009年1月4日日曜日

正月休みの散歩



今年の正月は、寒さはたいしたことないんだけど、あまりすっきりと晴れない。

そういうことで、外出する機会が少なく体に良くないのだ。

そのため、がんばって今日は村の中を1時間あまり散歩した。

途中、地蔵菩薩を祭った社のそばを久しぶりに通ったけど、その道は昔ののぞかな細道でなく、アスファルト製の車道に変わっていた。



その後、村の神社にお参りして、そのまま村の東はずれまで行った。

しかし、その付近はブルドーザが田んぼに入って、土地のかさ上げを行っていた。

また、村の駐在所が小学校の手前に移転するということで、眺めると既に建物ができていた。

これまで田舎の風景は変わっていないなあと思っていたけど、あちこちで昔の思い出の場所が変化していた。



素敵な景色に変わっているならいいんだけど、風景破壊の方向に変化していかないように頼むよ。

2009年1月2日金曜日

正月休みのおしゃべり

正月2日目は地元の人とゆっくりおしゃべりしたいと思ったので、何人かの知人にお声をかけたら、陶芸家の山城氏が応じていただいたので、ボクの整理中の部屋ではじめてのおしゃべりが実現した。

年末に引越し荷物を整理していたらホットプレートが見つかったので、それを使って焼肉を食べながらお酒を飲みながらおしゃべりすることにした。

午後2時半頃に彼が尋ねて来てくれたので、おしゃべりが始まった。

「自分は陶芸家というアナログ人間なのでデジタルは良く分からないけど、それで大変良かったと思っているよ。」

「でも、テレビや新聞などの既存メディアだけで事実を知ろうとすることも危険なのでは?」

「それはそうだね。事実はもっと深いところにあるもんね。」

「そういう意味で、ニコニコ動画という映像配信方法は、視聴者の反応を直ちに知ることができて、結構面白いよ。ホラ。」

などとおしゃべり。



1時間ほどインターネットを弄りながらおしゃべりしたが、その後、焼肉パーティに入った。

おしゃべりはさらに具体的な内容に入り込んだけど、山城氏は地酒の「小鼓」を出荷している西山酒造の社長さんなどもご存知だそうなので、今度はそういう人たちも交えておしゃべりすることにしよう、ということになった。

しかし、おかげでとても楽しいお正月になったよ。

2009年1月1日木曜日

2009年のお正月


田舎の正月は、相変わらずの恒例行事が続く。

どれも、それなりに正月の風情を醸し出して、残しておきたい行事だと思う。

まず、早朝、日章旗掲揚の当番がボクん家に回ってきたので、母とクルマで出かけた。

時間がなかったので、ボクはそのまま檀家に属しているお寺にお参りをして、7時からお坊さんの説教を聴いた。

今年のお話のテーマは「十牛図」。

昔、この話を本で読んだことがあって、ボクには分かり易かった。

お話の後、お坊さんと奥様にご挨拶をして帰途についた。



9時からは、公会堂前で毎年開催される初総会に参加。

今日は雪がパラついていたが、焚き火で十分暖かかった。

いつものように、お神酒をいただき、ミカンを食べ、個別にお正月のご挨拶をし合うだけと言えばそれまでだけど、そういう機会を与える場を提供されているというのは、それなりに意義のあることだと思う。

夕方、少し雨模様になったので、母と日章旗を降ろしに出かけた。