2010年12月29日水曜日

来年の稲作の相談

今年の稲作は、亡き母が準備した稲の苗などを利用して、弟が親戚の人たちのお手伝いを受けながら、米の納品までやり遂げてくれた。

ところが、来年は、弟が福岡に出店する店の責任者として赴任するそうなので、とても稲作は無理とのこととなった。

そこで、近所の稲作を専門に行っているY氏を訪ねて相談した。



おかげで、「我が家が希望するなら、来年の稲作を引き受けても良い。」との返事をもらったので、弟と確認し合って、依頼することにした。

とにかく、今、自分たち兄弟では、どうしようもないのが実情だが、全国にもこのような状況に陥っている家族が非常に多いのではないかと思う。

なにしろ、政府がこのくにの農業に対する将来構想をまったく持っていなくて、いつも行き当たりばったりの政策で、多くの農家が振り回されている。

挙句、我が家のように、にっちもさちもいかなくなるのだ。

2010年6月14日月曜日

忌明け法要

母の四十九日の忌明け法要を行ったんだけど、丹波の風習に馴染んでない兄弟3人にとってこの準備が大変。

村の親戚の人らに相談して、詳細なスケジュールや準備するものなどを聞いて、兄弟で手分けして作業をしたんだが、なぜ、そんなことをするの?という疑問が次々と湧いてきて、なかなか理解できない。

もともと仏教の教えからしてほとんど知識がないのだから、やっていることが理解できないのは仕方がないし、檀家のお坊さんが、忙しい我ら兄弟が忙しくて全然実家に帰ることができないので、できるだけ手間を省いて、忌明け法要にまとめて実施してもらうなど、いっぱい気を使ってもらった。



それにしても、日本人って、こんなに宗教に無知でいいのかな、と思うと共に、本質の理解をせずに、ただ、決められたしきたりを守っているだけでどんな意味があるんだろうと思う。

ボクらは前日に帰宅し、銀行口座の相続手続きとともに、寺に預けておいた塔婆を受け取り、法要の準備をして当日を迎えた。

おおよそ、以下のような手順で法要が行われた。

朝から親戚などからお参りしていただく人々が集まる。

10:00 和尚さんが来られて自宅で読経していただく。

11:00 納骨のために墓地に行く。



11:30 参列者は、車に分譲してお寺に行き、読経

12:00 自宅で食事

2010年5月11日火曜日

母の死

深夜にメールが来たので、妻がベッドの上でケータイで見ると「母が亡くなりました。」と妹からのメール。

びっくりしたが、深夜にクルマで丹波まで走るのは、今のボクにとって危ないので、早朝に丹波に向けて出発した。

途中、高速の追い越し車線で突然タイヤがパンクしたが、自動車保険に電話をしたら30分ほどで救援の人が駆けつけてくれて、取り敢えず応急処置をしてもらった。

たどりついた丹波の自宅は、つつじの花が満開に咲いていた。

また、いつも母が仕事に精を出していた家の前の畑には、きれいに整備された野菜のそばで、芥子の花が咲き誇っていた。









そっと家の中にはいると、母の遺体が白い布団に寝かされていた。

気候の良い時期のおかげで、ガラス戸を開いた縁側から、爽やかな風が流れ込んで来る。

おだやかな顔をして、安らかな眠りについているようで安心した。



翌日、柏原の「こもれび」という総裁センターで葬儀を行った。

長男のボクが喪主となり、葬儀の後で参加者にご挨拶をしたが、それが結構ウケていた。

主な内容はこんなもの。

先週、父の入院手続きに母と同行して病院に行き、入院する父を励ましてきたばかりなのに、励ました側が先に亡くなるとは思ってもいなかった。

前夜、兄弟3人で食事をしながら、母の死因を究明しようと相談した。

先日、農業の虫と呼ばれる働き者の母から電話があった。「草刈機が動かなくなったので、何とかして欲しい。」とのことだ。

「じゃ、オークションで中古品を落札しておくよ。」ということで、落札した草刈機を自宅に送付しておいた。

弟が実家に帰ったとき、早速、起動しようとしたが、なかなかエンジンがかからない。

一生懸命エンジンのワイヤーをひっぱている弟の様子を心配そうに覗き込んでいた母は、突然かかったエンジンの白い煙に包まれてしまったのだ。

このときの白煙を吸い込んだのが直接の死因だったと思う。



この思い出の草刈機を母の棺に入れてやろうと思ったが、焼却炉で燃えにくいだろうと思ったのと、働き者の母が、天国へ行く途中で草刈をやらねば、と思われたら困るので止めた。

もう仕事を気にせず、まっすぐ天国に行って欲しい。

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昨夜は、妹の電話に「食事がのどを通らないし、少ししんどい。」と連絡があった。

そこで、「夜には、弟が帰って来るので、ちょっと待ってて。」と答えたのだが、弟が自宅に着いたら、入り口に腰をかけたまま息絶えていたそうだ。

その連絡を聞いた妹がメールを送ってくれたのだ。

葬儀には、久しぶりに顔を合わせる親類縁者の方がたくさん来られた。



焼却場に行く途中の山道には、たくさんの藤の花が咲いていた。

丹波の厳しい寒さに耐えて、ようやく心地よい季節になったというのに、なんで死んじゃったんだろうね。

自宅に帰って、親類の人たちとともに、母の遺品を荼毘に付した。

2010年4月22日木曜日

雨のドライブ



丹波で、害獣捕獲研究について、岡田氏と打合せを行い、兵庫県立大での会議に参加することにした。

この日は、結構激しい雨だったが、神戸までの道に詳しい岡田氏のクルマに同乗させてもらって、大学に向かった。



それにしても、今日、彼が使ったクルマの助手席はすばらしかった。

なんと、助手席が障害者にも使いやすい回転式で、まるで、ボクのために誂えたような作り。

大学の会議室で行った会議では、研究に携わっている団体がそれぞれ進捗の報告と、今後の計画について発表し、お互いに研究の進め方を議論した。



我々のグループは、イノシシ捕獲用の電子檻の試作を進めているが、ほかのグループ担当の電子センサーが完成しないと使えない。

新型センサーが完成するまでの間に、別の方式の簡易センサーを取り付けてでも、ボクの自宅の裏庭を荒らしているイノシシ野郎をとっ捕まえてやりたいものだ。

寒いね


1月だから仕方がないけど、外は寒い。

家のまわりも、うっすらと雪景色。




この日も、地元の友達とおしゃべりをするために、近くのショッピングセンターに集まった。

どこの地域にも面白い人たちがいて、いろいろと予想外の話題に話が展開して、楽しい。




また、村の衆が集まって、村の規約の確認を行った後に、酒を飲みながらおしゃべりした。

まだ、丹波の地に腰を落ち着けていないので、村の衆となかなか話が合わないけど、都会と違った味わいがあって面白い。



これからも、こういう機会がときどきあるんだけど、今はリハビリを兼ねて南紀白浜で暮らしているので、なかなか参加できる機会がない。

しかし、自分が少しずつ元気になってくるにつれ、忙しくなって、そういう機会が少なくなっていくのがつらいな。