2011年5月4日水曜日

亡き母の一周忌

母が亡くなって、はや1年が過ぎた。

4月は少林寺の住職さんのご都合がつかなかったので、連休中の5月3日に一周忌を実施することになった。

前日は、ボクたち夫婦は勤務日なので、仕事が終わった後、田辺の自宅マンションを出発して丹波に向かったがゴールデンウィークで相当混雑していた。



翌朝が早いので、夫婦で柏原市内のホテルに泊まった。

初めて利用したホテルだったが、安くて比較的きれいで、朝食もついていて、結構良かった。

前日には、初美が少林寺に塔婆の受け取りに行って、小西さんと自宅と墓の掃除をしたり、仏壇の花を供えたりしてくれた。



10時から、住職さんや親族の方々がお揃いになり、い周期の法要を行っていただいた。

ボクは足が悪いので、小さな台を持ってきて使ってみたが、おかげでかなり楽だった。

ここで、参拝者に挨拶をしようと思っていたが、和尚さんから「挨拶は、会食の前に行ってもらえばいいですよ。」とのことだったので、止めた。

参拝者のために、お盆で焼香のセットを廻し、焼香が終わった後、墓に参った。



その後、芦田正さんにお世話をしてもらったレストラン「やすら樹」でお斎(おとき)と呼ぶ会食をした。

この日は、とてもいい天気だったが、レストランの送迎バスからは、黄砂がすごく、山並みが霞んでいた。

会食は椅子席で、足の不自由な参列者が多いので、助かったし、地元の山菜などがたくさん出されてとてもうまかった。




しかし、クルマで帰宅する人が多いので、酒を飲むことができず、結構、時間を持て余し気味だった。

そこへ、山内さんが、「では、手品でもやってみようか。」と言って、紐をネタにした手品をいくつか披露してもらったが、みんなに楽しんでもらえて良かった。

2011年3月27日日曜日

実家の活用

実家には、現在誰も住んでいない状態が続くので、この先どうするかを兄弟で考えることにした。
兄弟の誰かが実家に住むというのが理想だが、なかなか難しい。

自分は経営していた大阪の会社を解散して、丹波の自宅を拠点にして仕事をしてみようと「技術士事務所」をこちらに移し、大きな荷物を運んで準備を進めた。

ところが、障害者なので農業は無理としても、何らかのコンピュータ関係の仕事がないかと探したのだ。
丹波市在住の友達とも相談し、丹波市の職員の方とも話し合ったが、結局、兵庫県立大と害獣対策事業を獲得したに留まった。

いろんな人に相談したが、丹波には、ボクのできそうな仕事はなかなか難しいようだ。

妹も、嫁ぎ先の親類の人が農業をしたいと言っているので、ひょっとしたら移り住んでくれるかもと期待したが、ダメだったそうだ。

弟はかつて丹波の実家で農業に携わっており、彼の妻もしばらく住んでいたこともあるので、最も期待できると思ったのだが、直接弟に聴いてみると「実際住んでみたら、ずっと住み続けるのは我慢できなかった。今後も、その気はない。」との冷たい返事。

と言って無人で放っておくと、家は傷みが早いので何とかしないといかん。

丹波市のためにこの家が有効活用できれば、などの話をしていたら、そのうち、丹波市が就農希望者を募集しているとの話を聴いた。

もし、そういう人があれば、我が家もどうすれば良いか検討しているので、一度お会いしてお話できればと言っておいた。



そうすると、3月に「1人、神戸の方で、丹波への就農希望者がおられますが。。。」との連絡があった。

そこで、ボクが兵庫県立大学で行われた会議に出席するついでに、まずはお会いしようと神戸でお会いした。

若い夫婦でお会いすることができたが、明るくていい人だった。

最初に、「私のほうは、まだ、兄弟の了解も親類への説明もしていませんので、すぐにというのは難しいのですが、」と切り出した。

しかし、農業に携わりたいと言う気持ちは、都会で事業に失敗したなどという後ろ向きの話でなく、神戸で営業しているラーメン屋は繁盛していてテレビ雑誌で紹介してもらっているが、「こんなことで稼ぐのでなく、自分で作った本物の野菜を食べてもらうレストランを開きたい。」との思いで、丹波で土地を探しているとのこと。賃貸期間もその準備をする1年間のみとのことだったので、そのような条件であれば、取り敢えず兄弟に確認してみることにした。

白浜の自宅に帰って妻に話すと「それは、いい話じゃない。」と喜んだが、兄弟からは「貸さないで。」とのメールを受けたので、この話は遭えなく頓挫してしまった。



村の区長さんや農会長さんにも、その経緯を説明しておこうと、丹波を訪れたのだが、ちょうど村の総会がある日で、公民館に村の主だった方が集まってもらっていた。

区長さんなんかは、うわさで凡そのことは聞いているとのことで、あまり経過などを詳しく説明する必要はなかった。

さすがに田舎のコミュニティはしっかりしている。と言うべきか、他に話題がないので、手ごろな話の種になっていたのか、その辺りは良くわからん。

しかし、区長さんから「一周忌も済んでいないのに、ちょっと早すぎるんじゃないか?」との意見をもらった。

確かに早過ぎたんだけど、ビジネス感覚で考えると、行政が関係しておまけに田舎でこんなに早く話が進むとは思っていなかった。

今回、関係した人が都会の方だったからだろうと思う。

この件で、田舎と都会のビジネス感覚の違いを肌で感じたが、この地で、ボクがやりたい情報関係のビジネスが受け入れられないのも当然であるという感覚を感じたことだった。

都会の合理主義が良い、田舎のコミュニティが良いということではなくて、両者の感覚の違いが理解できないとダメだな。

2011年1月2日日曜日

母のいないお正月

別のブログでも書いたが、散々な目に遭ったものの何とか帰省できたが、実家はエアコンも無く寒いだろうから血圧に良くないとのことで、柏原のビジネスホテルに泊まった。

自宅に帰って、母の墓前にお参りしたが、母のいなくなった今年の正月は一段と寒かった。



早朝、7:30より檀家である少林寺の年賀のご挨拶に出かけた。

昨日の雪で、寺の入り口では雪かきでなく雪掃きをしておられたが、スタッドタイヤを装着したレンタカーのおかげで安心して駐車場に停める事ができた。




寺の年賀式は、般若心経の読経、檀家総代の挨拶、ご住職の講和があり、約30分くらいで終わった。

その後、9:00から石才地区の年賀式が公民館前の広場で行われ、久しぶりにお会いした人たちにご挨拶をした。



年末に続いて、老人介護施設「おかのはな」に入居中のおやじを訪ねた。

周辺の景色は雪に覆われ、すごく懐かしい風景に思えた。

帰省に13時間もかかったので、早いうちに丹波を発って、田辺に向かったが、Uターンは何事も無く走行することができ、レンタカーを返却して、預けていた自分の車で帰った。

この日は、良く晴れて、快適なドライブとなって安心した。